2011年9月23日金曜日

出版の未来 1(橘川幸夫)

◇書籍の返本率も高まり、出版不況は、とことん深まってきたと思われる。もともと2兆円程度の小さな業界であり、そこに5000社余りの出版社がうごめいている貧しく不安定な業界なのである。

*ちなみに「業界動向サーチ」を見ると、出版業界は、9,008億とある。しかしこれは上場企業の公開データだけで、講談社も小学館も上場していないので、まるで実体を表していないと思う。ベネッセが業界売上げの4割を占めるが、ベネッセの本業は出版ではないだろう。ゼンリンは出版社だと思っていないだろう。業界動向サーチは、一般的な業界の基準に合わせてデータを作っているのだろうが、それだけ出版業界は一般的ではないということだろう。

*ちなみに2兆円という市場規模は、出版取次大手2社がそれぞれ6000億円から8000億程度の売上であり、その他の取次の扱い高を見渡して、だいたいの数字はこんなものだろうと感じである。「出版業界」といえば、普通に書店で売られている書籍や雑誌の業界というのが分かりやすい。キャラクターのロイヤリティや、通販雑誌の商材売上までを出版業界の枠に入れるのは無理があるような気がする。コンテンツ・ビジネス業界というのが別に設定されるべきかも知れない。
◇出版不況の要因は様々に語られている。曰く「若者の活字離れ」「インターネットなどさまざまな情報提供システムの拡大」「リーマンショックなどによる広告収入の激減」など。確かに、そうした外部要因も多々あるだろうが、僕には、出版社自身の内的要因の方が、はるかに大事な因子だと思っている。それは、出版社が出版することの目的を失っている、ということである。

◇現代の出版文化は、明治の頃、日本の近代化とともにスタートした。欧米から入ってくる新しい知識、考え方を翻訳し解説する書籍の需要があった。近代日本に、はじめて目覚めた市民意識・個人意識を育てるために、書籍は大きな役割を果たした。出版社の人間は日本社会に新しい情報を提供することが、自らの使命だと確信し、半分ビジネスで半分は社会的使命感で働いたのだと思う。この流れは戦後社会においても、脈々とつなげられてきた。

◇これは、出版に限らず、日本の社会建設全般に言えることだろう。「半分ビジネス半分社会的使命」という働き方は、どの業界においても近代日本人の基本的な労働スタイルであったように思える。道路を作った人も、コンピュータの開発に携わった人も、飲食店を営んだ人も、確かにそれが「生活の糧」ではあったとしても、自分の労働が社会に役立っていると思わない限り過酷な労働は続けてはいけなかっただろう。自分の労働が、更に社会の発展につながるという意識を持てれば、より以上のエネルギーを体内に感じただろう。このバランスが急速に崩れたのは、80年代バブルの時期からだと思う。「ビジネス」の部分が急速に膨張していったのである。

◇かつて「編集会議」というのは、書籍の中身を検討する会議であった。ところが、80年代になってから、編集会議で最初に討議されるのは、その作者が過去にどれだけ部数を出していたか、が問われるようになってきた。無名の新人を発掘し、丁寧に育て上げるという編集者の職人的な職務が否定され、紀伊国屋のPOSデータによる冷徹な分析を中心に会議が進む。そこでは「オレたちが新しい時代を作るんだ!」という出版社が持っていた青臭い「社会的使命」の役割が失われ、大量生産大量販売だけを良とする成長戦略しか描けない。

◇かつて、出版社と著者は家族のような関係であった。著者(物書きで生きていこうとする人)とは子どもじみて、わがままな種族であり、それを飼い慣らし、歴史に残る作品へと昇華させていくのが、編集者の腕のみせどころであり喜びであったはずだ。まだ書きあがっていないのに、前金で印税寄こせみたいな話が普通にあった。しかし、今はそうではない。現代の出版社に評価される編集者は、新しい才能を発見し育てるのではなく、「今、売れている著者」をつかまえて、原稿を書かせられる編集者である。だから、今、売れているという著者は、特定の出版社に帰属しているのは少なく、どこの出版社からもまんべんなく出している。個人と企業のクールな契約関係だけで動いている。

◇編集者が、遅筆の著者に、どうしても原稿を書いてもらいたくて、何年も通いながら、いじわるされながら、最後に原稿をいただく、という話が普通にあった。しかし、80年ぐらいから、編集者にとって「良い著者」とは「締め切り厳守で、売れる原稿を書いてくれる人」になった。それまで編集者とは出版社の人間だけど、著者の側にたって、著者の魅力と才能を最大限に引き出してくれる人だったのに、サラリーマン化した編集者は、自分の年間ノルマだけが本を出す目標になってしまったのだろう。

◇新しい情報を、新しい著者を世の中に知らしめるのだ、という出版社のもっている大きな内的喜びが失われたのだと思う。そして、それは、結果的に著者の読者層を消費尽くして、読者の期待を裏切っていくことになる。著者がちやほやされて、飽きられていく速度が早くなってきたような気がする。

◇「社会的使命」を失った組織は、時代の流れに対抗する力を失う。大手出版社のサラリーマン編集者は、テレビ局のメディアマンと同じように、流行のタレントや文化人との付き合いの中で、気分だけは時代の先頭にいるような気持ちになって、力仕事は外注の編集プロダクションに投げ出して、ぜいたくな取材活動をしている。電車で届ければよい校正用紙を、バイク便をバンバン使って効率化する。裸の王様である。

◇それでも、小さな出版社には、まだ「社会的使命」を守っているところも少なくない。例えば「ランナーズ」などは、ランニング人口を増やすという自らのテーマに即して、イベント実施などを行いつつ、出版活動を安定させている。専門誌が強いのも、編集者の意識と組織の意志がシンクロしているからだろう。大手の編集者になると、この複雑化、多様化した社会の中で、あらゆる専門領域のテーマを抱えざるを得ない。

◇目的を失った組織は、一度、崩壊した方がよいのかとも思う。その廃墟の中で、新しい目的を見いだす人たちが現れてくるはずだから。売るためのテクニカルなノウハウだけでは組織や個人は、続かない。「何を売るのか」「何で売るのか」という、疑う哲学を根本に置いた者だけが、常に、現実の最前線に立てるのである。そうした意識を持った個人の集まりであるコミュニティとしての出版社組織が大切なんだと思う。
(橘川幸夫)